アートは悪を見るためのもの(2022年)
本稿では、アートが道徳的な悪や人間の闇の側面を直視するための手段として機能するという視点を探求する。美や調和だけを追求するのではなく、アートは社会や個人の内に潜む「悪」を可視化し、それと向き合うことで真の洞察を得ることを可能にする。作者は、現代社会におけるアートの倫理的役割を問い直す。
背景メモ
デジタル文化を批判的に論じてきた韓国系ドイツ人哲学者、ビョン・チョルハン(Byung-Chul Han)のエッセイ。同氏は『疲労社会』『透明な社会』などで知られ、現代社会における「可視性の強制」や「ポジティブ思考の独裁」を痛烈に批判している。本稿では、今日のSNSや監視資本主義が「悪」や「ネガティブなもの」を排除し、すべてをポジティブで見やすいものに浄化していると主張。その結果、人間は悪を見抜く力を失い、倫理的判断が鈍っている、と論じる。対置されるのが、旧約聖書の原罪譚や新約聖書のヨハネ福音書に見られる「見る」ことの深さ、あるいはゲーテやカフカの文学における闇の審視。韓国系である著者の視点は、西洋哲学に東洋的な思考(老荘思想や禅)を架橋する点でも独特で、英語圏のリベラルアート読者にとっては「可視性礼賛へのアンチテーゼ」として読まれている。