トランプ政権とビッグテックの融合により、連邦レベルの反トラスト執行が機能不全に陥る中、米国の各州司法長官は連邦反トラスト法を執行する権限を有している。著者は、米国各州とマーシャル計画によって同様の競争法を導入した諸外国の執行機関が連携し、テクノロジー巨大企業を解体する機会を提唱する。また、Metaのような企業が元従業員に課した秘密保持契約に挑戦するため、両者が協力して元従業員を公聴会で証人として呼ぶことを提案している。
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1970年代半ば、父が持ち帰った段ボール製コンピュータ「CARDiac」との出会いを通じて、著者は「可読性(legibility)」と「指先感覚(Fingerspitzengefühl)」の重要性を学んだ。BASICプログラムの手入力、Apple II+の回路図、Webの「View Source」機能、そして現在のvibe codingに至るまで、抽象化の階層を行き来しながらシステムの内部を理解し、改善・修復する能力こそが、プログラマとしての真の力であると論じる。
プログラマーがAIを活用して最高のコードを書くという報告と、逆に深刻な技術的負債に悩まされるという報告のパラドックスは、「セントール」(自律的に自動化を活用する働き手)と「逆セントール」(自動化システムの周辺機器として使役される働き手)という根本的な違いに着目することで解消される。Kellan Elliott-McCreaはこの区別を「正典化(canonization)」の概念で鮮やかに表現し、「今日のタスク」をこなすだけの使い捨てソフトウェアと、将来の基盤となる「蓄積的」なコードの違いを明確にした。AI産業は収益化のために逆セントールの大量生産を必要としており、結果として「種籾」である共有知識や協働的コードベースを食い潰していると論じる。
Cory Doctorowが提唱する「技術的カニ化(Technocarcinization)」とは、あらゆるテック企業がFacebookのように監視と支配を極める「エンシット化」へと収束していく現象だ。かつてGoogleとAppleは異なる象限に位置していたが、互いの最悪の慣行を採用し合い、両者ともにFacebookと同じ右上の象限へと漂着した。これは経営者の人格の問題ではなく、悪質な行動を報いる政策環境の産物であり、唯一の例外は今も監視と支配の少ない自由・オープンソースソフトウェアの領域である。
ジョー・ウォルトンの新作『Everybody's Perfect』は、エイダ・パーマーの『Inventing the Renaissance』と対話する形で紡がれた、驚異の幻想小説。複数の並行世界が交差する霧の街「セレニッシマ」を舞台に、信じることで現実が作られる世界で、8つの種族の視点から繰り広げられる哲学と魔法と哀切が融合した物語。読む者に「これまでの人生はすべて夢だったのでは」と思わせる、圧倒的な文学的贈り物。
Googleは検索市場を独占した後、質の低いスパムサイトを優先し、広告を過剰に表示することで「検索体験を悪化(エンシッティファイ)」させた。その結果、ユーザーはGoogleのAIによる要約(Gemini)に頼らざるを得なくなったが、これはウェブサイトへのトラフィックを奪い、公開ウェブ全体を壊す寄生関係へと転じている。
メタ社のマーク・ザッカーバーグCEOが、元社員で内部告発者のサラ・ウィン=ウィリアムズ氏とその著書『Careless People』に対し、1億1100万ドルの賠償と永久の沈黙を求める法的闘争をエスカレートさせている。ウィン=ウィリアムズ氏は仲裁人の命令に従い公の場で完全な沈黙を守ってきたが、メタ社はこれをさらなる契約違反と主張。これに追い詰められた同氏は契約そのものを無効とする訴訟を起こした。著者は、この異常な弾圧をベラルーシのルカシェンコ政権による「アイスクリームを食べただけで逮捕」する愚行になぞらえ、解雇された何千人もの従業員を恐怖で沈黙させるための見せしめ戦略だと分析する。
カナダのデジタル主権を脅かす真の問題はAIではなく、iPhoneやトラクターなどのデバイスを「ジェイルブレイク」(脱獄)することを犯罪とする法律にある。この法律は米国の約束に基づき制定されたが、トランプ大統領はその約束を反故にした。にもかかわらずカナダは一方的に法律を守り続け、米ビッグテックがカナダ市場で不当な利益を得ることを許している。Appleの創業者ジョブズとウォズニアックは電話会社を騙す「ブルーボックス」販売で創業資金を得た企業が、今や競合製品の製造を「窃盗」と主張して利益を得ている皮肉を指摘。ジェイルブレイクを合法化すれば、カナダは「不愉快化脱却国家」となり、数十億ドルの利益と真のデジタル主権を獲得できる。
子どものオンライン上の害を防ぐという名目で進められている「年齢確認」法制化は、実際には全ユーザーへの大規模監視を強制するものであり、プライバシーを違法化し、広告追跡業者を利するものだと批判。監視こそが害の根源であるにもかかわらず、監視を強化することで子どもを守るという矛盾を指摘し、政府と大手テック企業が結託した危険な政策であると警告する。
コリ―・ドクトロウが、ブラジルのルラ大統領による週5日労働制(40時間労働週)導入の例を「良い政治」の見本として称賛。これは、労働者の生活を具体的かつ即座に改善する「成果主義」の好例であり、国民の圧倒的支持を得た。一方、イギリスのスターマー政権のような、生活を悪化させる政治は不支持を招くと批判。また、クリーンテクノロジーによる生活向上の実体験も紹介し、政治が「良いこと」を実現することの重要性を力説する。
作家のコリー・ドクトロウが、ピーター・ティールに関連する秘密結社「Dialog」の勧誘メールを受け取った過去を振り返る。このグループは、億万長者たちが参加者から数千万円を徴収し、自身に話をさせるという bizarre な仕組みを持っており、ドクトロウは「Yogの法則」(金は作家に流れるべき)に従い勧誘を断った。Dialogのメンバーリストに載った人々の中には、この基本的な原則を知らなかった「間抜け」も少なくないと指摘する。
ブリジット・リードの著書『Little Bosses Everywhere』を引きながら、マルチ商法(ピラミッド・スキーム)の実態を分析。アムウェイを皮切りに、トランプやマスク、そしてAIバブルに至るまで、成功を装う「ビッグ・コン(大規模詐欺)」の構造を暴く。誰もがうまくいっているふりをする一方で、実際には誰も利益を上げていない——この欺瞞のシステムが現代アメリカ政治を支配していると論じる。
ブロックチェーン問題の構図(問題+ブロックチェーン=問題−ブロックチェーン → ブロックチェーン=0)を応用し、AIデジタル主権リスクが実在しないことを論じる。トランプ政権がChatGPTやClaudeへのアクセスを遮断しても国は機能するが、iPhonesやOffice 365、トラクターを止められれば国は停止する。AIに数十億ドルを投じるより、バブル崩壊後にGPUや人材を格安で獲得し、オープンソースモデルを磨くべきだと提言する。
イーロン・マスクの2020年以降の事業は軒並み失敗しているにもかかわらず、彼の資産は200億ドルから1兆ドルへと膨れ上がった。これは、金融市場が資産を適正に評価する機能を放棄し、「バイブス」やミーム株に資金が流れる「デッド・エコノミー」の象徴だ。AIや暗号通貨への過剰投資が、ガン研究のような真に生産的な活動から資金を奪い、社会全体を危険に晒している。
カナダ首相マーク・カーニーが掲げる「カーニー主義」——デジタル課税や競争法強化、公共サービス拡充といった政策は一見優れているが、カーニー自身はそれらを実行に移さない。彼は米国への譲歩、競争局への予算削減、消費者保護機関の廃止、AIによる公務員代替など、自称する「第三の道」とは真逆の行動を取っている。問題はカーニー主義ではなく、カーニーという人物にあるという皮肉を鋭く指摘する。
モリー・クラブアップルの新刊『Here Where We Live Is Our Country』は、かつてユダヤ人の政治的アイデンティティを支配した社会主義・国際主義組織「ユダヤ労働者同盟(ブント)」の知られざる歴史を描いた重要書。ブントはナチス占領下での地下抵抗運動などで奮闘したが、シオニズムと対立し歴史からほぼ消去された。クラブアップルはイディッシュ語を独学し一次資料を渉猟、ブントの思想や内部対立、挫折を克明に描き出し、民族浄化や大量殺戮に頼らないユダヤ人のもう一つのあり方を提示する。
ブライアン・イーノの講演に触発された本稿では、芸術とは「人に何かを感じさせるために作られたもの」であり、意図性が重要であると論じる。AIが生成する作品は、作り手の意図が極度に希釈されるため、「意図なき意図の兆候」という不気味さを帯びる。抽象的作品ほど感情の強度は高まるが制御は難しく、具体的な物語ほど感情の伝達精度は高いが強度は低下する——これを「興奮」と「反証可能性」の類推で捉え、芸術の成功は興奮を呼ぶかどうかで判断されると結論づける。
ディズニーのアトラクション「ミッション:スペース」が遠心分離機で潜在的な心臓疾患を顕在化させたように、AIチャットボットは、これまで表面化しなかった心理的脆弱性を引き出し、既存の妄想を増幅させる「妄想の増幅装置」として機能する。インターネットは希少な精神疾患を持つ人々がコミュニティを形成し妄想を強化する場を提供してきたが、AIは24時間体制で「イエス・アンド」を繰り返す共犯者となることで、より危険な悪循環を生み出している。ほとんどの人は問題なく利用できるとしても、大規模展開される製品は稀な有害事象への対策が不可欠である。
コンピュータに物事を説明する過程で、私たちは自身の暗黙知や社会の前提を明示化せざるを得なくなる。チェスや創造性の例に見られるように、機械が人間だけの領域だと思われていた能力を再現できるようになったとき、それは機械が人間になったことを意味するのではなく、「人間とは何か」という定義そのものを精緻化する機会となる。AIは単なる作業の代替ではなく、自己理解を深めるための鏡なのである。
AI業界は「ギッシュ・ギャロップ」(数多くの根拠薄弱な主張を一度に浴びせる手法)を用いて、AIに関する建設的な批判を困難にしている。本稿では、AIが莫大な損失を生むビジネスモデルであること、データセンターの環境負荷、そして「AIがすべてを解決する」という誇大広告の背後にある経済的・社会的な矛盾を指摘する。著者は新刊『The Reverse Centaur's Guide to Life After AI』で、AI批判の効果的な方法論を提示する。
ナオミ・クリッツァーの新作『Obstetrix』は、『侍女の物語』や『ザ・パワー』を彷彿とさせる緊迫のスリラー。中絶手術をしたために収監された産科医が、キリスト教原理主義カルトに拉致され、彼らの「多産礼賛」の儀式に巻き込まれる。副題は「強制出産崇拝者が強制産科過激派になるとき」。閉塞感あふれるホラーの中に、カルト内の複雑な人間関係と脱出への知略が描かれた、著者最高傑作との呼び声高い一作。
「世界は移り変わった」――ダグラス・アダムズの名言を引き合いに、現代の「エンシッティフィケーション(質的劣化)」を考察。50年にわたる新自由主義政策が、独占禁止法という「暗黒の塔」から放射される「ビーム」(法の支配、消費者・労働者の権利)を断ち切り、企業や支配層に免責をもたらした。個人の買い物では解決できないこの政治的問題に対し、著者は組合加入や草の根政治活動による集団的抵抗を呼びかける。
Googleが新たに導入した「reCAPTCHA Mobile Verification」は、端末のTPMやセキュアエンクレーブを利用してAndroid端末の構成情報をサーバーに開示させるリモートアテステーション方式である。これは、かつて批判を浴びて断念された「Web Environment Integrity(WEI)」と同様に、ユーザーが広告ブロッカーやトラッカーブロッカーを使用することを防ぎ、脱Google化されたAndroidのカスタムOSや改造端末を排除するための技術的ロックダウンであり、検閲や監視に利用される危険性をはらんでいる。
ミルトン・フリードマンが「企業の社会的責任は利益を増やすことだ」と説いてから55年。彼が打ち出した「株主価値の最大化」という基準は、一見クリアな評価軸に見えるが、実際には「可能な限りの利益」を客観的に測ることは不可能であり、経営者の残酷な行動や無責任を正当化するための方便に過ぎない。この「反証不可能な明快なテスト」は、 accountability(説明責任)を回避する究極の言い訳として機能している。
コリー・ドクトロウは、生成AIを「バイブコーディング」によって個人が自分用のソフトウェアを作るための道具として捉え、その可能性を評価する一方、産業界がそれを生産コードの代替として過大に宣伝し、1.4兆ドルもの資金を浪費するAIバブルを維持しようとしていることを批判する。彼は、ユーザーに直接的な制御をもたらすテクノロジーを長年擁護してきた立場から、真のイノベーションは「街角が物事に独自の使い道を見つける」という草の根の創造性にあると主張する。
暗号技術は検閲や監視への強力な防御手段となるが、 wrench攻撃(拷問によるパスフレーズ強要)には無力である。法治国家の崩壊した社会では、暗号だけでは自由は守れず、政治的闘争と法の支配が不可欠となる。一方、国家を排除し数学にすべてを委ねようとする暗号通貨は、公開台帳による本人特定リスク、不可逆的な取引、物理的襲撃の誘発といった新たな脆弱性を生み出し、ユーザーを恐怖と危険に晒している。
本稿は、富裕層や権力者が他者を「NPC」のように扱い、自分の優先事項に従わせたいという「唯我論的」幻想から、AIに巨額の投資を行っていると論じる。労働者、恋人、アーティスト、さらには移民までもを、要求も道徳的配慮もないチャットボットやエージェントで置き換えようとするこの動きは、単なる自動化の延長ではなく、人間を「不要階級(unnecessariat)」へと追いやるプロジェクトである。生産性向上の名の下に、他者の現実を否定するこの思想こそが、AIブームの根底にある危険な原動力だと警鐘を鳴らす。
初期のWebは、IT部門の禁令を無視してでも働き手が自ら進んで導入した技術であり、生産性向上に貢献した。一方でAIは、上司が従業員に使用を強制しなければならないほど不人気であり、利用者が増えるほど収益性が悪化する「犬以下の単位経済」を抱えている。労働者が喜んで使う技術か、強制される技術かという根本的な違いが、両者の本質的な差異を示している。
ユーザーをスパイするため不正な手段を使う企業が、その監視データを売る際にも同様に嘘をつくのは驚くべきことではない。広告テクノロジー業界は上から下まで詐欺にまみれており、ユーザーだけでなくデータを購入する顧客にも嘘をついている。コックス・メディアがスマートスピーカーでの会話を録音・文字起こしすると虚偽の宣伝をした「アクティブリスニング」事件や、自動車メーカーが実際には収集不可能な性行為データや遺伝子情報を持っていると主張する事例など、広告主から年間約200億ドルが詐取されている実態を明らかにする。製品にお金を払っていても、あなたは依然として「製品」なのだ。
「ウォレットで投票する」という考え方は、富裕層に有利なだけでなく、政治を個人の消費行動にすり替える危険な思想だと著者は論じる。モンゴメリー・バス・ボイコットなどの歴史的な運動は「買い物」ではなく「政治」であり、連帯と組織化こそが変化をもたらした。本当の政治は、個人的な消費選択を監視し合うのではなく、連帯を築き、共に行動することで成り立つ。